はじめに

 キリコ祭り・・・・能登の独特な祭りの一つである。呼び名は、奥能登では「キリコ」だが、中能登、口能登北部では「奉灯」や「お明かし」とも呼ばれる。私が奥能登出身であることもあり、ここでは私自身聞きなれた「キリコ」と言う名称を使用する。
 そもそも、「キリコ」とは・・・・・?「キリコ」は「切子燈籠」の切子からきていると言われている。「切子燈籠」を直訳すると「立方体のそれぞれの角を切り落とした形
の照明器具」となる。「切子燈籠」は盂蘭盆会のとき、ご先祖様の供養などのために使用される。
 そして、それが神様の乗り物である神輿の渡御の際、闇夜を照らし先導役として使用され、はじめは小さい(40cm×30cmぐらいの立方体)ものだったが時代を経るごとに変化するのだが、村々や個人が自分たちの富を誇示するためにその姿は巨大化し、又は煌びやかになっていったいうのが現在言われている説である。
 ともあれ、祖先たちが築き上げ受け継がれてきたキリコ祭りは、能登人にとって一番の誇りであると言える(キリコ祭りがある地区にとって)。
  ここでは、現段階で私自身が書籍やインターネットで調査したもの、また、現地での実際に見たものを統合して出した、考え方を示す。しかし、まだまだ調査不足なのであくまで暫定的なものとする。



能登キリコの分類

 キリコ祭りと言ってもすべてのキリコ祭りを一括りには出来ない。
 一村一町それぞれ独自の特徴を持っている。祭りの形態、キリコの形状、服装囃子等、細かい違いまであげればきりが無い。
 そこで、ここでは簡単にキリコの形状を主とし、大まかに分類をしてみた。
 各々最終型名は発祥年代に関係なく、代表的な地区名を使用した。

図2.キリコの分類

【外浦型】
 長方形型の奉燈。ワク台が無く、四本柱がそのままキリコの足になる形状。太鼓は担ぎ棒にぶら下げたり、押し車に乗せたりする。基本的に囃子は、太鼓・笛・鉦で、歩きながら叩く。大きさについては、大きいもので大体15m前後、小さいもので大体6m前後。小さいものは数人で担げる程、他に比べ軽量。
「柳田型」・・・外浦型純型。小型のものは漆塗りが施されたもがある。
「中島型」・・・ナカフクの上部に出っ張ったあんどんがあることから、一般的に「額キリコ 」 と呼ばれる。

【 内浦型】
 長方形型の奉燈。強固なワク台があり、その上に四本柱が立つ形状。基本的に囃子は、太鼓・笛・鉦。舞台があり、子供や囃子手が乗ることが出来る。太鼓も舞台に設置されていて、太鼓打ちはナカフクに向いて太鼓を叩く。ちなみに、体が大きい者が囃子手として乗ると、担ぎ手から文句を言われる・・・・。大きいもので大体15m前後、小さいもので大体6m前後。強固なワク台、囃子手が乗るため小型のキリコでもかなり重く、最低でも20人以上は必要。重量感のある激しい乱舞が特徴的。綱持ちが重要な役目を果たす。
「宇出津型」・・・内浦型純型。ナカフクの下部に見事な彫り物があるところもある。
「沖波型」・・・ナカフクの上部に色とりどりな幣の短冊がついているのが特徴的。一般的に「短冊キリコ」と呼ばれる。

【珠洲型】
  長方形型の奉燈。簡素であるがワク台がある。 柳田型の進化版(?)。装飾が豪華であることが特徴的。基本的に囃子は、太鼓・笛・鉦。舞台があり、子供や囃子手が乗ることが出来る。太鼓は舞台近くに設置されていて、太鼓打ちは舞台にのり太鼓を叩く。大きいもので大体15m前後、小さいもので大体6m前後。
「鵜飼型」・・・珠洲型純型と位置づけて置く。
「松波型」
・・・キリコの正面に人形を飾りつけており、一般的に「人形キリコ」と呼ばれる。
「蛸島型」・・・漆塗り、金箔、彫刻などが施され、他のどこよりも豪華絢爛なキリコ。一般的に工芸キリコ」よばれる。

【変形型】
 他とはかなり様相がことなり、曲線美があるキリコ。基本的に囃子は、太鼓・笛・鉦。舞台があり、子供や囃子手が乗ることが出来る。太鼓も舞台に設置されている。大きさは、大体4〜6m。奉燈には、武者絵などが描かれている。歴史的には、上記に上げた長方形型のキリコより新しい。
「鵜川型」 ・・・一般的に「ニワカ」と呼ばれている。鵜川の場合、加賀藩主が能登巡視のため、即興的に作成しお見せしたものとされている(しかし、この説は有力とは言い切れないらしい)。
「鵜川型」 ・・・夜着の着物の袖を広げた感じに似ているので、一般的に「袖キリコ」と呼ばれている。こちらも、元々は即興的に作成したものが今日に至っているようである。

 

 



わが故郷のキリコ